欧州原子核研究機構(CERN)とフランスのAI開発企業Mistral AIは、科学的発見を加速する基盤モデル(AI for Science)の共同開発に向けた長期的な戦略的パートナーシップ(意向表明書)を締結しました。世界最大の粒子加速器である大型ハドロン衝突型加速器(LHC(スイス・フランス国境の地下にある世界最大の円形粒子加速器))の膨大な実験・シミュレーションデータを活用し、加速器物理学初となる統合基盤モデル「Large Physics Model」の構築を進めます。

引用元:CERN
素粒子衝突の解析連鎖を単一基盤モデルへ統合
今回の提携の核心は、素粒子物理学の研究パイプラインそのものを基盤モデル技術で革新することです。
- 「Large Physics Model」の開発: LHCで発生する数十億件規模の陽子衝突シミュレーションデータを用いて事前学習を行います。粒子衝突の再構成、素粒子同定、未知シグナルや異常の検出、次世代検出器の設計評価に至る複数のタスクを、単一のモデルで処理することを目指します。
- 解析プロセスの刷新: 従来、LHCの衝突データ解析は検出器シグナルを段階的に変換する多数の個別アルゴリズムの連鎖に依存していました。単一の基盤モデルが再構成パイプライン全体をエンドツーエンドで学習することで、解析精度と計算効率の大幅な向上が期待されます。
- 1エクサバイト超のデータと次世代加速器への布石: CERNには現在約1エクサバイト(100万テラバイト)の実験データが蓄積されています。さらに2030年頃に稼働を予定している高輝度LHC(HL-LHC)では衝突回数が10倍に増大するため、従来の解析手法では処理能力の限界が懸念されており、最先端AIの導入が不可欠となっていました。
国内研究機関への示唆と未確認事項
巨大実験データを扱う基礎科学分野における基盤モデル活用は、世界的なトレンドとなっています。
- 日本の高エネルギー物理学への示唆: 日本国内でも高エネルギー加速器研究機構(KEK)の「SuperKEKB」など巨大加速器プロジェクトが進められています。個別タスクごとに特化した機械学習モデルから、全体を統合する基盤モデルへのシフトは、日本の素粒子物理や天文学などの大規模科学研究におけるデータ処理基盤の設計にも大きな示唆を与えます。
- 現時点での未確認事項: 今回の発表は意向表明書の締結段階であり、モデルの具体的なパラメータ規模、学習に使用するGPU計算インフラ、完成モデルの一般公開時期やオープンソース(オープンウェイト)ライセンスの適用範囲については明示されていません。
分析と今後の展望
欧州を代表する国際科学機関であるCERNと、欧州発の有力AIスタートアップであるMistral AIのタッグは、欧州が掲げる「科学技術主権(ソブリンAI)」の象徴的な動きといえます。米国大手が独占しがちな基盤モデル競争において、欧州が世界に誇る基礎科学データ資産とオープンウェイトAI技術を結びつけることで、独自の研究エコシステムを確立する狙いがあります。素粒子物理で実証された手法が材料科学や気候変動予測など他の科学分野へ波及するかどうかが今後の注目点となります。
引用元:CERN